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日本統治時代建設の都市公園-二二八和平紀念公園
© Ellie Lee
日付:
2017-07-10

台北市の総統府や外交部、台北賓館、台湾大学病院といった主要機関の近くにある二二八和平紀念公園は、日本統治時代に建設された、台湾で初めての欧風の近代都市公園です。日本統治時代、戦後の戒厳令、それが解除されてからと、二二八和平紀念公園は、さまざまな時代の記憶と物語を抱え、台湾の百年以上の歴史の縮図となっています。

二二八和平紀念公園は、日本統治時代の1899年に建設が始まり、1908年に基本が完成。当初は「新公園」と命名されました。1913年、総督府が「市区改正」という都市計画を実施し、台北大天后宮を撤去して、その北側に「児玉総督・後藤民政長官記念館」(現在の国立台湾博物館)を建設、これが1915年に完成しました。それに伴って、公園の敷地も北に広がり、敷地面積は7万1520平方メートルとなっています。

公園はかつて、日本人居留地に近く、台湾総督府など行政機関による政策活動の場や、1935年に開催された台湾博覧会の主要会場の一つにもなりました。公園内の東屋は、博覧会に合わせて、半円形の野外音楽堂に改築されました。

第2次大戦後の1945年、国民政府が台湾を接収。1947年に起こった2・28事件では、群衆が、当時公園内にあったラジオ局の建物(現在の台北二二八紀念館)を占拠して、蜂起を呼び掛ける放送を行い、台湾全土に抗議活動が広がるきっかけとなりました。その2・28事件との関係が、事件発生から約50年後に公園が改名された理由です。

1996年2月28日、公園内に建てられた二二八和平紀念碑が除幕され、公園の名称も「二二八和平紀念公園」に改められました。また、翌年には、公園内に台北二二八紀念館が設置され、歴史を思い、その痛みを慰める記念の公園となりました。

公園内には、日本統治時代から現在に至るまでの歴史を感じられるものが多数残っています。日本統治時代のものでは、蒸気機関車やアーチ橋、蓮花池、野外音楽堂。中国式のものとしては、天后宮跡や貞節牌坊、孔子像、翠亨閣などがあります。

このほか、まだ性的マイノリティーに関する意識が低かったころ、この公園は同性愛男性たちが集まる場になっていました。作家の白先勇が、小説《孽子》でこの公園を舞台にした同性愛者の物語を描いています。

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