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草山公共浴場
日付:
2017-03-20

草山公共浴場はかつて、台湾最大規模の公共浴場で、台湾の温泉文化史と建材技術において重要な価値がある建物です。1929年に建設され、各種娯楽施設のほか、男性用浴場、女性用浴場があり、八角形の浴槽が最も特徴的でした。

日本統治時代、台湾総督府が1901年に初めて台北の草山(現在の陽明山)に質の高い温泉と地熱資源があることを発見。この資源開発に向けて台湾総督府は、大屯山と七星山一帯に大規模な造林計画を進め、草山では10年以内に数百万株の植樹が行われました。また、台北各地と草山を直通で結ぶ公共道路を通し、総合温泉リゾート施設を建設、元は荒野だったところを桜が咲き乱れる美しい公園として整備。温泉旅館や公共浴場、クラブ、公営の保養施設も相次いで設置され、草山地区の観光産業が発展していきました。

1925年から1929年の間に、草山と北投、台北を結ぶバス路線の運行が開始。草山に多くの観光客が訪れるようになり、草山は台北の主要観光地になっていきました。日本の植民地政府は、公共浴場「草山衆楽園」を1903年に完成させており、草山温泉には最高で年間延べ6万人が訪れたという記録があります。

日本人は行く先々で桜を植えてきました。草山でも至る所に桜が植えられており、温泉と花見を楽しめることが、日本統治時代の草山独特の温泉文化になりました。この浴場の建設には、草山近郊で採掘される安山岩が大量に使われているため、建物の外観全体が灰紫色になっています。また、瓦屋根が田園地域の別荘という風情を醸し出しています。

施工には、台湾北部・淡水の名匠が招かれました。外観の石の配列などを見ると、当時の建築工法が西洋建築の影響を大きく受けていることが分かります。その石積工法は当時の台湾の建築では初のものでした。

現在の陽明山にある教員の研修センター「草山教師研習中心」が、当時の「草山公共浴場」または「草山衆楽園」と呼ばれていた建物です。第二次世界大戦後、草山は陽明山と名称が変わり、この公共浴場は廃止されました。そして、この建築物の所有組織は、「草山公共浴場」、「陽明山管理局」を経て現在の「草山教師研習中心」と、何度か変わり、台湾の歴史を伝える文化的存在になっています。

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